植民地化以前、植民地時代、独立、そして現代インドネシア

ジャカルタで最も古い地域は、チリウン川がジャカルタ湾に流れ込むジャワ島の北西海岸に位置しています。

この港町は当初スンダ·クラパとして知られていましたが、1527年6月22日にファタヒラ王がスンダ·クラパを取り壊し、そこにジャヤカルタの町をつくりました。この日がジャカルタの都市としての創設日になりました。ジャヤカルタは、中国、インド、アラビア、後のヨーロッパからだけでなく、列島各地からの貿易商で賑やかな港でした。

 

1619年、ヤン·ピーテルスゾーン·コーエンの下でオランダ東インド会社はジャヤカルタを破壊し、チリウン川西岸にオランダ部族の祖先であるバタビア人にちなんでバタビアと名付けられた新しい町を建設しました。バタビアはオランダの街と同じような設計で、運河によって区画された壁と堀で要塞化されて、その一部は1650年に構築されました。旧バタビアはヨーロッパ人の居住地となった一方、中国人、ジャワ人、そして先住民族は砦の外に住んでいました。

 

 

 


その全盛期にはバタビアは「東洋の真珠」として有名で、オランダ東インド会社による支配は後に、広大な東インド群島のオランダ政府の支配となりました。

1942年の日本軍占領の間に、日本がバタビアからジャカルタへ名称を変更して、それが今日に至っています。