旧バタビアには18~19世紀に建てられた2つのモスクがあります。プコジャンにあるアン·ナウィエール·モスクとマスジッド·ランガール·ティンギですが、現在は西ジャカルタのカンプン·アラブ(アラブ村)として有名です。

以前、その地域はベンガルからやってきたインド人イスラム教徒によって支配されていました。

Langgar Tinggi Mosque

プコジャンという名前はインドのホーヤ、つまりカジャに起因すると言われています。一方、ホーヤという単語は隣州バンテンの男性が頭に身につける物の名前です。そのため、ジャカルタの創設者であるファタヒラ王とともに戦ったバンテン兵士は、この地域によく滞在していました。ジャカルタと後のバタビアは賑やかな国際貿易港だったため、街は常に独自コミュニティを持つ異なる民族の貿易商であふれており、カンプンと呼ばれる村で共に生活していました。 

An-Nawier Mosque

アン·ナウィエール·モスクはプコジャン·モスクとして知られており、プコジャン区にシャリファ·ファティマ·ビンティ·フーセン·アル·イドゥルスによって1749年(イスラム暦1180H)に建設されました。このモスクはジャカルタで最大かつ最古で多くの特徴があり、お祈りに訪れる教徒2000人を収容できるL字形で構成されています。屋根は33本の柱で支えられており、それはお祈りに引用される神聖な33節を象徴しています。モスクの外には、灯台に似た17mのミナレットが立っています。

言い伝えによると、植民地の権力に対する反乱が起きるたびに、インドネシアの自由戦士はこの狭い塔のシェルターに隠れて追跡者の手を逃れたということです。

このモスクからマスジッド·ランガール·ティンギへ歩いていくと、人々がアンケ川にかかる橋のジュンバタン·カンビン(ヤギの橋)を渡っています。この橋はかつて貧弱なヤギの屠殺場へと続いていました。現在はその屠殺場はありませんが、多くのアラブ系住民は200年以上経ったいまでもヤギを飼育して商売を続けています。

マスジッド·ランガール·ティンギ、つまり高いモスクに到着すると、瞬時に人々はこのモスクが2階建からなるということを不思議に思うかもしれません。 

マスジッド·ランガール·ティンギはアンク川に沿ってあり、1829年(イスラム暦1249H)に建てられました。木の床の2階がお祈りの場で今もなお、原形のままで良い状態に保たれています。1階はモスクの管理人が住んでいます。

その建築は中国やジャワの要素を持つムーア様式とコロニアル様式の融合です。柱は古典的なヨーロッパのデザイン、それを支えるものは中国様式で、土台はジャワ様式、そして説教壇は南スマトラ·パレンバンからのものです。